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インドのマザーテレサの死を待つ人の家のボランティア
先日、日本のテレビを見ていて、驚いたことがあります。
インタビュー受けていた女性が、”昔インドのマザーテレサのところで10ヶ月間働いていた時に、全て実費だったので貯金を使い果たした”と話していました。
今のインドって、そんなに物価が上がったの?
実は、私も短期間で、4か月間程ではありますが、インドのマザーテレサの施設でボランティアで働いていたことがあるんです。
その経験からすると、マザーのボランティアは確かに実費の施設もあるのですよ。ただ当時はインドの生活費が安いですから、そんなに負担にはならないんですよね。
今回は、そんな当時のことを思い出して、マザーテレサと死を待つ人の家でのボランティアの話をちょっと書きたいと思います。
マザーテレサの死を待つ人の家を解説
インタビューの回答になぜ私が驚いたのか?
先ずは最初に、なぜ私がテレビの女性のインタビューに驚いたのかを話しましょう。
マザーテレサのボランティアを受け付けている施設は、ランディーババン・シシィバハンといくつもあるんですが、私は、その中の一つである”死を待つ人の家”で4ヶ月程働いていました。
ランディーババン・シシィバハン等の施設は、ボランティア期間が月単位での申し込みとなり、施設に泊まり食事も提供される仕組みでした。
それに対して、死を待つ人の家は、食事はお昼ご飯の提供だけで、ホテルは自費で手配をして、施設への通うスタイルでした。
でもインドは物価が安く、バックパッパカーとして安いホテルにドミトリーに泊まり、現地の人よりちょっと良いお店で食事するレベルの生活であれば、月に100ドルもあれば十分でした。
これは、当時のレートで100ドルは、約1万円でしたから、インタビューの女性の働いた10ヶ月なら約10万円なんです。
テレビのインタビューを受けていた女性は、そんなに初めから貯金が少なかったんですかね?
そんなことは流石にないでしょうから、物価がそれほど上がったんでしょうね。
それとも物価の安いインドで多くのお金を使っていたんでしょうか?っていうか、使うところもあまりないと思うのですが、、、、(笑)
マザーテレサの言葉
テレビの番組から当時のことを思い出したので、記事にしてみることにしました。
”愛の反意語は、憎しみではなく無関心”
凄く有名な言葉なので、知っている人も多くいるでしょう。その言葉の意味は、高校生の私にとっては、非常に衝撃的で物事の捉え方を考え直させられたものでした。
そして私は初めてインドに旅行に行った時に、マザーテレサとはどんな人物なのかを知りたくて、存命だった彼女の教会の朝のミサに行きました。
当時は有名だったマザーテレサの話を聞こうと、世界中から多くの人が押しかけていました。私は混み込みで中に入れない教会の状態を見て、やっぱり帰ろうかなぁと思って、外の門のところで座って、どうするか悩んでました。
すると、中の混雑ぶりが嘘のようにガランとした教会の外の道路を、年取ったシスターがヨタヨタとした感じで掃除をしてるんです。
私は正直ガッカリしました。
それから更に多くの人がミサに集まってきて、マザーテレサを見るために懸命に中に入ろうと押し合っています。
誰も高齢なのに掃除させられているシスターになど気にしません。
まぁ、、、見に来る人もこのレベルだし、、、、そして俺も同じ穴のムジナか、、、、、
そんなことを思いながら、ボーと眺めていたこの光景に、私は更に落胆しました。
もう興ざめで帰ろうとした時に、掃除をしていた年老いたシスターと目が合ってしまい、するとシスターが笑顔で”中にどうぞ”と案内してくれたんです。
笑顔で案内されて帰れなくなり、彼女に導かれ中に入ることになりました。
そして後ろの離れた場所で、ミサになんとなく参加することになり、ミサが始まりマザーテレサの挨拶として、マザー本人が登壇しました。
ここで私は、本当に驚きましたっ!
彼女自身が、今でもカルカッタの炎天下の中で掃除をしているんですね。
しかしマザーテレサを一目見ようと必死になって中に入ろうとしていた人達は、掃除しているマザーテレサに誰も気が付かないの!って、そこにも驚きましたが(笑)
そんな経験もあり、私はマザーテレサの創設した施設でボランティアをしてみたくなったのでした。そしてその後にまたインドへボランティアに訪れることになりました。
紙に書いてあることを読むのではなく、自分の目で見て感じてみたいと思ったからです。
因みにマザーテレサの言葉が気になる方は、本が何冊も発行されていますので、読んでみると良いと思います。
マザーテレサのカルカッタにある”死を待つ人の家”
それから私、マザーテレサの理念で作られた組織に興味がわき、”死を待つ人の家”で4ヶ月ほどボランティアに参加しました。
”死を待つ人の家”は、インドに何箇所かあるのですが、カルカッタで3ヶ月とヴァラナシーで1ヶ月ほど働きました。
施設では、街中で死にそうな人を連れてきて、食事とベットを用意して、元気になったらまた街に出て行ってもらいます。
ただし実際は入所して、2・3日で死んでしまう人が6割ぐらいになります。施設を出れる人は2割ぐらいで、残りの2割は比較的長期で入所して亡くなる人です。
ボランティアに関しては、基本的に来るものは拒まずで、1日でも受け入れていました。
でも実は1日だけのボランティアの人を受け入れるって大変なんですよ。
私も働いていた後半は教える側だったので分かりますが、結局数日は仕事を教えないといけないので手が掛かってしまい、初心者はいない方が効率的なんです。
アルバイトでもトレーニング期間って、そうですよね?
実際の”死を待つ人の家”では、毎日1日だけしか働かない人が30%ぐらいいるので、これは作業効率を考えると明らかにマイナスでした。
それは、より多くの人にボランティアを体験してもらうことです。ボランティアという行為自体のハードルを下げることが、”死を待つ人の家”の役割なんだと思います。
現にシシュババンなどのほかの施設は、すべて最低10日間や2週間以上働けることなどの条件が設けられていましたから。
1番知名度の高い”死を待つ人の家”で、冷やかしでも何でもボランティアを体験してもらい1人でも多くのボランティアに関わってくれる人を増やしていきたいという思いがあったんだと思います。
私自身の死を待つ人の家のボランティアの初日
ボランティアの初日は、20名近くのボランティアの初日の人達と共に、担当者から簡単な施設全他の説明を10分程度聞きます。
その後に患者さん30名から40名が寝ている大部屋に案内されて、”じゃあ、あなたは彼の担当ね”とだけ説明して、”じゃあ、よろしく”って、案内してくれた人は行ってしまおうとします。
、、、、、、って、”えぇ!ちょっとちょっと、何すれば良いのっ!””英語だって通じないのに”と聞くと?
という返事でした。、、、、、、
え?どうゆうこと?って思いますよね?
”彼らは今日死ぬかもしれないの、お医者さんには見せれないしね。マッサージでも、肩を抱くのでも、手を握るだけでも構わない。
英語?関係ないよ。日本語で良いから話しかけてあげて、彼らは人としての触れ合いが必要なのよ”
私のボランティアの心掛け
私はここで働くに際して、変に患者さんと思うことは止めにして、友人として対等に接することにしました。
マッサージをしてあげたら、”ありがとうは?”と言ったり、自分で出来る人が”水くれ”と言えば、”自分で行ける人は自分で行ってねぇ”と言ったり、結構乱暴だったと思います。
でも、患者さんとは凄く仲が良かったですよ(笑)
一緒にボランティアのリーダーの悪口言ったり、嫌な仕事があると患者さんが私を呼んでくれて”俺の用事をしてることにしろ!””サンキュー”なんて患者さんが気を使ってくれたりする関係でした、、、、、、、、
うーーん、ボランティアとしては、これで良いのかなぁとは思いますが(笑)
実際、真面目なボランティアの人からは、異端児として煙たがられてましたからね、私は(笑)
せめて死ぬ時ぐらいは人間らしく
死を待つ人の家の目的は、せめて死ぬ時ぐらいは人間らしくです。
この考え方には、私も考えさせられました。なんせ目の前でどんど人が死んでいきますからね、まぁ誰でも考えちゃいますよね。
ある日、初めてボランティアにきた日本人の女性が、リーダーと言い争いの喧嘩をしています。
スウェーデン人の若いこのリーダーはテキパキと指示を出していくのですが、結構口が悪くて怖いんです。誰もが睨まれたり怒鳴られたりしてましたね。
その彼と堂々と怒鳴りあっている日本人女性は、看護婦さんらしくて患者さんの病気が分かるらしく、医者に見せると主張しているんです。
医者に診て貰えば治る病気ということらしいです。
しかしリーダーの答えは”NO!”、彼女は更に言います、”私が治療費を出すから良いでしょ!”
リーダーの答えは”NO!”、でも彼女はがんがん攻めます。リーダーは、遂に本丸の正論を彼女に言い放ちました。
”君の考えは分かった、でも、この施設ではこの施設のルールに従ってもらう。自分の考えが正しいと思うのなら、その活動を自分でしろっ!”
彼女は、怒ったまま帰って行きましたね。彼女がその素晴らしい施設を創ったことを私は信じています、、、、、、
でも、死を待つ人の家では人間らしく死なせてあげることしか出来ません。私達にはそれ以上の権限はないんです、これはマザーテレサの私達に対する優しさでもあると思います。
残念ながら、自分の力では全ての人を助けられないという現実があるわけです。その現実に私たちが押しつぶされないように、マザーが1番辛い決断を背負うことで守ってくれているのですから。
元気になった患者さん
多くはありませんが、元気になる患者さんももちろんいます。
私の仲の良かった患者さんも元気になり出所しましたね。その時は元々の彼の持ち物を返して服とお金を少し渡して街に帰してあげるんです。
まぁ実際みんな乞食なので、元気に乞食に戻るということです、、、、、
なんか元気になって乞食というのもなんだかなぁとは思うんのですが、これが現実です。
何度か元患者さんに街で会ったこともあって、やってましたよ、元気に乞食を。”あぁ久しぶり!”なんて言って走ってきて抱きついてきたりします、けっこう子供っぽい人が多いんですよね。その姿をみて私も涙が少し。
でも、、、、周りのインド人は引いてますね、、、、、、乞食と抱き合う外国人!なんなんだこいつは?
<死を待つ人の家が映っている動画です>
ボランティアする人も色々な考え方がある
ある日私は、例の怖いリーダーに呼ばれました”君って日本人だよなぁ、日本人のツアーが見学に来るから案内役よろしく”
”へーそうなんだぁ、え?でも俺が案内するの?”
だって”なんかボランティアしてる人って真面目な感じの人がイメージだから向いてないでしょっ”て言ったんですが、意見は聞かないスウェーデン人のリーダーですから、もう決まってました。
なんか変わり者扱いの私が案内すると、ボランティアのイメージが悪くなるような気がしましたからね。
しかし実際に、”死を待つ人の家”でボランティアしている人って、真面目過ぎたりプライドが高かったりしてクセのある人が多いんですよ。
ボランティアに意固地になって優しさが無くなっている本末転倒な人もいて、そういう意味でも色々学べました。
これもマザーテレサが与えてくれたものなんでしょうね。
”インドのマザーテレサの”死を待つ人の家”のまとめ
カリスマ性の強いリーダーが亡くなってしまうと、求心力が落ちて組織は厳しい状況になってしまう可能性が高いのは事実です。
それでもマザーテレサの創設した組織では、マザーの教えがこれからも引き継がれて継続・発展していくことを強く願います。
業者にお金払ってボランティアをするって少し歪んだ気がしますので、そこは自助努力でどうにかすべきだと思いますね。
だって、ボランティアって、そもそも自発的なものですからねぇ。
日本人も日本とは全く異なる社会の片りんだけでも体感すれば、何か感じることがあるのだと思います。
死を待つ人の家をマザーテレサが設立したもう一つの理由がそこにありますから、少しでも興味があればドンドン体験だけでもしてみると良いと思いますよ。
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