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海外旅行FPが実際にバックパッカーとして旅行した60ヶ国とはどの国なのか?
ブログの中で私自身が海外旅行で約60カ国を周ったと書いていますが、実際にどこの国を旅して周ったのかを簡単に説明してみたいと思います。
考えてみると、今、タイに住んで10年近くなることや元損害保険会社の社員だったり、ファイナンシャルプランナーや不動産や資産運用の仕事をしていたということは書いていたと思います。
しかしバックパッカーとして海外を旅していたり、ボランティアをしていたりということは余り書いていないかと思うので、今回は海外を旅した事に関して少し書きたいと思います。
今回は、海外旅行をテーマに私の自己紹介的な記事としたいと思います。
バックパッカーの時期と旅行の費用に関して
大学生時代について
バックパッカーでの1人旅を始めたのは、19歳の大学生の時でした。
特にバックパッカーとして熱中していたのは、大学の在学時代と卒業してからサラリーマンとして働くまでの間ですね。
大学時代は基本的に、休みをぎりぎりまで延ばして夏は2ヵ月半、春は3ヶ月半旅を繰り返していました。
残りの半年で、旅の資金をアルバイトして稼ぐことと勉学に勤しんでいた訳です。
更に大学3年生が終わった時に1年休学して旅をしました。
その後4年生となって大学に戻って、就職活動をして内定も貰っていたのですが、最終的に就職を辞めてまた旅行に出ることにしてしまいました。
卒業後のバックパッカー時代
卒業してから1年間はフリーターとなり、アルバイトでお金を貯めて次の長期の海外旅行の資金を貯めました。
そして予定としてはアジアからヨーロッパを抜けてアメリカ大陸に行く2年の旅に出ました。
またこの時には、インドのマザーテレサの死を待つ人の家で、ボランティアをしてしています。
サラリーマン時代について
帰国後してから損害保険会社で働いていて、数年は仕事に没頭していました。そしてある程度仕事の全体像が見えてきた段階で有給休暇を取るようになりました。
それでも前年の20日分は持ちこしを続けるので、無くなってしまう20日を使い切ることになります。
ゴールデンウィーク・お盆休み・お正月休みに付け足す形で20日を振り分けて、10日から15日ぐらいに休みにして年3回の休みを取ってました。
そのパターンで毎年旅行に行くようになりました。
しかし普通のサラリーマン社会の常識からすると凄い話ですよね。
最初に休みを取った年は上司も含め凄い抵抗が社内からありました。
でもこれって不思議なもので、何度も繰り返していると段々と周りの人間の方が諦めてくれて、”あいつは変わり者だから仕方ない”と認識してくるんですよね。
ただし、その代り普段は仕事の時間も結果も人並み以上に出さないといけなかったですね。
特にクレームが休暇中に入ると最悪ですので、煩いお客さんや対応中の案件は細心の対応をして休暇中に問題が起こらないようにしてありました。そのために1度も休暇中に問題が起こったことはありませんでした。
しかしそこはサラリーマン社会です、他からも軋轢がありました。
違う課の誰だか分からない部長や課長に”お前があの噂のヤツかぁ、仕事をなめるなよ”みたいな感じで説教されることはありましたね。
私もサラリーマンでしたので、”はい””えぇ””そうですね”と適当に答えながら、”成績は悪くなく、クレームに関しては皆無で、有給を消化しているだけなのに何が問題なんだよ、具体的に言ってみろよ、感情論だろ”って心の中で思っていました。
海外旅行の資金に関して
海外旅行のお金が良くあるねと聞かれることがありましたが、基本的には貧乏旅行のバックパッカーでしたので想像されるほどはお金は掛かってないです。
そのかわり宿は共同の大部屋のベットを借りるスタイルですし、移動も基本的には陸路ですので飛行機は使わないことが多かったです。
宿は南京虫に食われたり冬でも水シャワーしかなかったり、バス移動が2泊3日ということも普通なので過酷ではありました。
しかし資金的には15万円ぐらいですから、大学生がフルにシフトを入れて働いたら2.3ヶ月でも何とか貯められたわけです。
実際に訪問した60カ国はどこなのか?
さぁ、やっと本編ですね。今回は私が実際に旅行したことのある国を地域ごとに分けて書き出しました。
地域分けが適当だったり、国として認められるのかどうか難しい面がある場所もあるので、下に書き出された国数は実際は68となりました。
盛っているとか言われるのも面倒ですしね。まぁ68ヶ国ならどんなに意見の相違で削っても60ヶ国にはなるでしょうからね。
① アジア地域 21ヶ国
- 中国
- フィリピン
- タイ
- ラオス
- ベトナム
- カンボジア
- マレーシア
- シンガポール
- インドネシア
- ミャンマー
- バングラディシュ
- ブータン
- ネパール
- インド
- スリランカ
- パキスタン
- バングラデシュ
- トルクメニスタン
- ウズベキスタン
- キルギスタン
- カザフスタン
私が初めての旅行先は、中国で神戸から船で上海に渡りました。
次の街の昆明で探したのですが会えず、私は予定も変えて昆明からタイに行きフィリピンにも行って予定より2週間延長して帰ったので再会は日本でした。
友人は日本で私が帰国しないので心配して待っていました。これが1人旅のバックパッカーを始めたキッカケでした。受動的に1人旅になってしまい、1人でも逞しく生きていくしかなかったというのが始まりです。
アジアで最多訪問は、ベースであるタイを除けばインドです。インドは3度行っていて、マザーテレサの死を待つ人の家でボランティアをしていたこともあります。
好きな場所は、タイを別格としたらインドネシアのバリ島やネパールのポカラは月並みですが好きですね。
その他で言うとウズベキスタンのサマルカンドは街全体が昔のイスラム教の国に迷い込んだ様なスケールの大きさに圧倒されました。
②中東地域 11ヶ国
- イラン
- トルコ
- シリア
- ヨルダン
- イスラエル
- レバノン
- キプロス
- 北キプロス
- グルジア
- アゼルバイジャン
- アルメニア
中東地域は、イスラム国(IS)やクルド、イランと問題も山積みなので話題になってしまいますよね。
特にシリアは、アサド政権が独裁的な強い政権だったこともあり治安の悪い場所でもなかったです。
海外旅行という観点では、強権的な政権や独裁国家というのはイメージと異なり良好であることが多いです。
これは強い政府が外交上の理由や外貨獲得の手段である外国人を守るためで、一般市民が簡単には犯罪を行えなくなるからです。民主主義が保証する公平さや権利が外国人に対する犯罪でも同じように与えられて思うなんて滑稽な話ですが、それが現実です。
私も訪問したシリアの世界遺産のパルミラは、大変素晴らしい遺跡でしたが、この内戦で大分傷んでしまったという話ですから悲しいことです。
レバノンも私が旅した時には内戦中断されたばかりで、街中に銃痕や爆撃の痕があり悲壮感が漂ってました。
そんな状態のレバノンにあるローマ遺跡であるのバールベックは、驚いたことにギリシャやイタリアの遺跡と変わらないか、それ以上とも思える素晴らしいものでした。
しかし当時は知名度は低く治安の問題もあり観光客はほとんど居ませんでした、、、、非常に勿体ない話です。
③ヨーロッパ地域 27ヶ国
- ロシア
- フィンランド
- エストニア
- ラトビア
- リトアニア
- ポーランド
- チェコ
- スロバキア
- ハンガリー
- クロアチア
- スロベニア
- ボスニアヘルツェゴビア
- セルビア
- マケドニア
- アルバニア
- ルーマニア
- ブルガリア
- ギリシャ
- イタリア
- オーストリア
- ドイツ
- スイス
- ヴァチカン
- オランダ
- ベルギー
- ルクセンブルグ
- フランス
ヨーロッパは美しい場所が数多くあります。
例えば、ロシアのサンストペテルベルグ、チェコのプラハ、ラトビアのリガ、ハンガリーのブタペスト、イタリアのフィレンツェ、クロアチアのドブログニク、ルクセンブルグなどは本当に中世にいる様な街並みで惚れ惚れします。
逆の意味で驚いたのはフランスのパリです、、、、、待が汚くて驚きました、、、、、、、、、芸術の都パリということで期待が大きすぎたというのもあるのだと思うのですが、景観を気にして洗濯物は干させないなんてことをするのであれば、街の掃除を先ずしようよという感じでした。
しかしヨーロッパの旅行に関してはお金の問題は切実でした。特に西欧は非常にお金が掛かるので、長期旅行は本当に貧乏旅行になってしまうんですよね。
毎日、基本的には安いパンと1番安いハムかオイルサーディンをスーパーマーケットなどで買って宿で食べていて、タバコも非常に高いので手巻きタバコを吸っていました。
その巻きたばこを持ったまま成田空港で見つかり、タバコだって説明しているのに大騒ぎになって別室に連れていかれたこともありました。
その時にはカバンの中身を全部調べられて、靴の中まで調べあげられました(笑)
④アフリカ地域 10ヶ国
- エジプト
- ケニア
- ウガンダ
- タンザニア
- マラウィ
- ジンバブエ
- モザンビーク
- ザンビア
- ナミビア
- 南アフリカ
自分の印象としてはアフリカの10ヶ国は意外と少ないんだなと思いました。それは旅のハードさは郡を抜いていたので、印象が強いんだと思います。
治安の悪さ、不衛生さ、移動の大変さそして病気と気をつけないと命に関わるレベルでした。
当時はマラリア対策も完全な予防薬はなく、副作用のある薬を毎日と週1の2種類を飲んでも50%しか抑えられないと言われていて、しかも予防薬は治療にも使うために予防薬を使っいると、実際にマラリアになった時には治療が難くなってしまうのです。
そのためにケニア以外のマラリアに感染する可能性のある地域を旅する人間は、究極の決断をしていたんです。
つまり予防薬を飲んで発症率は下がる代わりに治療では効果が低いか、予防薬を飲まないことで発症率は高い代わりに、感染した時には薬の効果を最大に発揮させて治療するかを決めるという選択でした。しかも実際にマラリアを発症する日本人も30パーセント近くいるので、実にロシアンルーレット以上の確率でした。
特にマラウィに関しては、湖があるからかマラリアになる人が多かったです。
マラリアは熱帯性のモノでも大都市の病院で治療できれば死にはしないのですが、地方では治療の設備が無いの為に命に関わる問題になります。その為に誰もが地方では健康管理には、非常に気を使ってました。
更にアフリカのもう一つの特徴に治安の悪さもあります。例えばナイロビの治安は最悪で夜の街を出歩くことは出来ませんでした。
10人、20人が銃を持って囲んできたりもするので、夜の街は歩けませんでした。
特に当時はソマリア系の人が自国の内乱から難民となってケニアに下ってきていたので、治安が悪化していたのが理由の1つでした。
夜になると、大の男が何人いてもホテルからたった歩いて5分のところにタクシーを使ってましたからね。
治安の悪さはあるものの、アフリカの大自然の雄大さとサバンナの動物には圧倒されました。あの広大な大地のうねりは他の大陸では目にすることが出来ないものです。
他にもジンバブエ・ザンビアのビクトリアホールやナミビアのナミブ砂漠も自然の神秘を感じさせる素晴らしいものでした。
バックパッカーとして世界の60ヶ国を旅したのはどの国なのかのまとめ
各地域ごとに色々感想を書いていこうかと思ったのですが、多くのことがあり過ぎてとても書ききれないですね。
このように一般的な人よりは多くの地域や国を旅してもいるので、海外旅行に関しては割と経験と知識はあるほうだと思います。
飛行機に乗った回数だけでも多いほうかと思いますしね。
そして海外旅行保険や生命保険・医療保険を知っているという意味でも保険会社の社員でしたから約款を含めて知っていますし、販売も事故処理も担当していましたから経験はある方だと思います。
どちらか1つであれば珍しくもないかと思いますが、実際の旅行経験と保険の知識と経験を併せ持っている人間は多くはないと思います。
それに今は海外在住という事でも、もう10年になりますしね。
私のそんな経験を生かした切り口の記事を多く書いていければと思っています。