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タイ国王の後継者・王位継承問題は日本人にも大きな影響がある!海外旅行情報

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2016年10月13日 タイ王室庁がプミポン国王陛下の御崩御を発表

タイ王宮がバンコクで入院中のプミポン国王の様態の悪化を発表しました。

先日の発表の内容は、呼吸器の炎症や血液の感染などが確認され医師団の治療のもと悪化と改善を繰り返してはいるが不安定なために、医師団は注意深く経過を観察するとしている。そして国王としての執務は控えた方がよいとの見解も含んだものでした。

これを受けてタイの主要株価指数は6%以上下げタイの通貨バーツも売り多く入りバーツ安となりました。軍事革命が受けても経済的な評価を下げなかったタイですからプミポン国王の影響力の大きさを証明した事件となりました。

そして10月13日にタイ王室庁がプミポン国王陛下の御崩御を発表しました。

タイでは毎年の12月5日のプミポン国王の誕生日は父の日であり国民揚げて国王を祝福する日です。それがこの数年はプミポン国王は祝賀式典への出席を取りやめていました。

出席予定だったものが当日の朝に急遽一般謁見とテレビ生中継とあわせて取り止めというようなこともありました。

この様にプミポン国王が公の場に出ていない状況つまりその姿を目にしていない状況が長く続いていたんです。

実のところ今のタイの王位継承に関しては国内を2分する派閥対立があり、王室の状況次第でタイ国の未来を決める大きな要因になっています。そのためにタイ人の最大の関心事は王位継承の問題とも言えるのです。

それにタイ国に住む私達の様な外国人にとっても住む国の政治動向は直接的に生活に影響します。特に現在のタイの状況は最悪のケースでは内戦さえも引き起こしかねない情勢だけに王室の問題が拡大すれば私達外国人も他人事では済まされないのは確実と言えます。

今回はそんな緊迫したタイの王位継承の問題を考えてみたいと思います。

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プミポン国王(ラーマ9世)の即位

これから起きるタイの王位継承を考えるにあたって少しさかのぼって現在の国王であるプミポン国王の即位に関して振り返りましょう。

実は先代の国王というのはプミポン国王の父や叔父ではなく兄のアナンタ国王となります。2代前のラーマ7世の急な退位を受けて、スイスに留学中にプミポン国王の兄アナンタ王子(ラーマ8世)は、1935年に即位をしています。

その当時僅か10歳です。そのためアナンタ国王はタイに帰ることなく、勉学と第2次世界大戦の戦火を避けるためということもあり留学を続けます。

そしてこの後のアナンタ国王からプミポン国王への王位継承のプロセスが近代のタイ王家の最大の黒い歴史と言えます。

1946年に留学先のスイスから即位後2度目の1時帰国をされるのですが、その際になんとアナンタ国王は宮殿内で拳銃で眉間を撃ち抜いて亡くなっているのを発見されます。

捜査後のタイ警察の発表は”拳銃を触って暴発した不幸な事故”と認定しました。

しかしアナンタ国王の自殺説や政略的暗殺説といった話が色々噂されたのですが、真実が調べられることはありません。

そして今でも表立ってこの話をタイ人がすることは出来ません。

それはタイには王室に対する不敬罪が存在するために王室批判に該当するような行為があれば警察に逮捕されることもあり得るからです。

因みにこの刑は外国人にも適用されるために、私もこのブログで当時の噂話をツラツラと書くわけにはいかないのです。

そう考えると日本の言論の自由って本当に素晴らしいものと思いますね。

天皇や政府批判をしたとしても警察に捕まり聴取されるなんてことはあり得ないわけですからね。

そしてこの不幸な事件の後に即位することになったのが、当時はスイスのローザンヌ大学に留学中だった現プミポン国王(ラーマ9世)であるアヂュンヤーデーッ王子です。

このような歴史的な経緯も色々あるために王位継承の問題には、タイ国内でも明るい印象を持てないのも事実です。

どこの国でも同じですが王位継承は権力闘争の歴史と同一となるからです。更にタイでは不敬罪の範疇に王位継承問題は当たるため、タイ国民は気軽に口には出来ないこともあり日本人から見ると不思議な空気のデリケートな問題となっているのです。

ちょっと話は逸れますが、現代の日本人には理解しにくい不敬罪ですが、外国人がこの不敬罪を目にすることはタイで映画を見に行けば体験できます。

タイの映画館では本編の映画の前に必ず王様を称える映像と歌の国王賛歌プレーン サンスーンプラバーラミーが流れます。この時には全員起立し、直立不動を保たないといけません。

もし立たなければ国王に対する尊敬の念が足りないとして不敬罪で逮捕されてしまいます。これは外国人でも適応されるという話ですよ。

実際、タイ人で立たない人は見たことが私はありませんね。

短いタイ旅行でも日本にはない不敬罪を体験できますからそんな理由から映画を見てみるのもおススメです。

国王賛歌は⇩のような映像と音楽になります。時々新しいものに変わっています。

更にもう1つ不敬罪での注意点は、朝8時と夕方6時になると街中でスピーカーが設置されている場所があり国歌が流れてくることがあります。もし国歌が聞こえてきたら、この時も立ち止まり国歌が終わるまで直立不動の姿勢でいなければなりません。

でも流石に道端ですから全員が守っているとも言えない時もあります。守らなかったら即不敬罪で逮捕なんてことはないとは思いますが、注意はして下さいね。

映像で見ると⇩こんな感じです。

 偉大な王ラーマ9世:プーミポンアドゥンラヤデート

そもそも現在のタイ国民の絶大なる王に対する尊敬の念はラーマ王家に対するものではなくプミポン国王個人に対するものだと言われています。

これはプミポン国王は先に書いた様に大きな疑惑のある即位となってしまったために、即位された時には多くの国民から華々しく尊敬を集める状況ではなかったからです。

それをプミポン国王は即位後にその行いや人柄を実際に見せていくことで多くの国民の支持を集めて、遂には歴来の王の中でも最大の尊敬を集める国王へとなったのです。

現在のタイ国民からの人気は絶大で多くのお店や個人宅にもブッダの写真と同様にプミポン国王の写真が飾られています。

これはレストランの壁に若かりしプミポンの写真が飾られている写真です。 2015-10-30-14-57-43-640x480これは田舎の講堂に飾られた多くの写真です。2016-10-15-16-29-12-640x373これは一般の家庭で飾られるプミポン国王の家族の写真です。2016-10-15-16-04-30-640x480これも一般家庭で飾られている写真です。2016-10-15-16-29-34-480x640

では、なぜプミポン国王が国民から愛されるのか、その逸話とも言える話を少しここでも紹介したいと思います。

地方都市活性化や農民の生活向上の活動

市民への功績の筆頭は地方都市の経済活性化に力注いだことでしょう。

国王自らも地方視察も精力的に行い多くの地方を自らの足で目で見て回ります。またその際にも悪天候となり雨や足元が悪くなったとしても国民と同じ環境を体現していくという信念のもと積極的に視察を行っていく姿に国民は心を打たれます。

そしてその体験を生かし”王室プロジェクト”と呼ばれる農業を中心とした地方経済の活性化プログラムのビジネスモデルを確立させ農民がお金を稼げる道を確立させています。

王室プロジェクトとは、クオリティを重視した製品の生産販売と貧しい農民を助ける事を目的としてタイ王室により推進しているプロジェクトです。

王室プロジェクトのショップは各デパートやショッピングモールに出店していますし、ドイカムと言う王室プロジェクトの商品はコンビニやスーパーマーケットにも並ぶ安心の人気ブランドとなっています。

これはタイでは人気の高いドイカムブランドの100%フルーツジュースです。普通に7-11などのコンビニで売っています。2016-07-14-17-33-39-640x480

また農民の農地問題解決のための土地改革運動では、王室所有の土地を農民に分け与えることもしています。他にも干ばつ対策として人工的に雨を降らせるプロジェクトも機能させて農民へ手助けを行っています。

王室によるプロジェクトである人工雨製造技術をタイではこう呼びます”王様の雨”と。

10年以上前にタイは干ばつとなり深刻な水不足となり農民を中心に大きな被害となりました。この時に国民を憂いたプミポン国王陛下が考えられたのが人工的に雨を降らせるという技術”王様の雨”でした。

この技術はセスナ機で空中に塩化ナトリウムの粉末を散布し、空中の水蒸気から上昇気流を作り次にヨウ化銀を散布することで雨雲を生成させます。そして更にドライアイスをその雲に散布することで地上と雲の間の外気温を下げて人工的に雨を発生させるというモノです。

この人工降雨技術はフランスなど欧州10カ国で特許を取得しています。

更に言えば、タイは仏教徒の多い国であることから、公務を王妃に代行してもらい国王自ら仏門に入って修行されていることも尊敬に値することと見られています。

政治的バランサーとして活躍

プミポン国王は、立憲王政という立場ながら多くの政治的な事件を解決に導くカリスマ性を見せつける活躍を見せます。

1981年の青年将校団(ヤング・タークス)によるクーデター未遂事件では、首都バンコクを制圧したことでクーデター成功と思われました。しかし国王がプレム首相と共に行動し「我らは首相と共に在り」と宣言したことで風向きは一転して青年将校団(ヤング・タークス)の支持は瓦解してクーデター失敗に終わりました。

因みに、プミポン国王とプレム枢密院議長の強大なパートナーシップはこの事件で生まれています。

2003年には国境を接するカンボジアとの間で争いが起きプノンペンのタイ大使館が焼き討ちされたことをピークにタイ国民がバンコクのカンボジア大使館を約500人以上で囲んでしまいます。その際にもプミポン国王が”悪党の言葉に耳を貸すべきではない、冷静になるべきだ”と発言されます。

このプミポン国王の言葉により暴徒と化していた人間は冷静さを取り戻し解散することで事件は収集しました。

2006年4月には野党が立候補をボイコットした状態のまま決行された下院総選挙を”民主主義的ではない”と指摘し再選挙を示唆します。その後国王の意向を受ける形で憲法裁判所がやり直しを命じました。

2000年代のタクシン派対反タクシン派の対立構造から生まれるクーデターやデモの混乱においても常に国王の最終判断を伺うこととなりその政治的影響力が未だに強いことが証明されました。

この様に多くの政治的重要局面でプミポン国王は非凡な政治手腕を見せつけて国民を平和に導いていき信頼を得ていきます。

そしてそのプミポン国王のカリスマ性と政治的手腕を表した最たる事件が、1992年5月に起きる暗黒の5月事件です。

暗黒の5月事件

この事件はまだ25年程度前になりますから記憶されている人も多いのではないかと思います。私自身もまだ学生として直ぐそばのカオサンロードに1ヶ月前に滞在していたので日本に帰国してテレビでこの時のデモの映像を見て驚愕しました。

この事件は陸軍が決行した軍事クーデターの代表者であるスチンダータイ国軍最高司令官が、翌年の民主化を反故にする形で首相に就任したことにより、国民からは激しい反発が巻き起こりバンコクの各地で大規模な抗議デモが行われることとなります。

反軍事政権の独裁に対するデモは更なる広がりをみせ、遂に業を煮やした軍部は5月17日にデモに参加する丸腰の一般市民に武力鎮圧を行います。

この時の状況は普段の平和なバンコクからは想像ができない様な地獄絵図でした。

デモ隊に対して無差別に発砲する兵士、鳴り響く銃声と怒号、逃げまどう市民、血だらけで運ばれる多く遺体、話によれば逃げる市民を兵士が追いかけて射殺していたという話です。

300人以上が死亡したとされていますが、実際は400人は軽く超えていたのではとも噂されています。

正に天安門事件の再現の様な状況でした。その時のニュース映像が残っています。

この様な虐殺とも呼べる最悪の事態が起き軍部と市民の対立が深刻化、タイという国の存在が足元から崩れてしまい解決の手段が見えなくなってしまいました。

可能な限り政治的発言を控えるプミポン国王ですが、この情勢を見かねて両指導者と呼び寄せます。

そして軍部の代表者スチンダーと民主化運動リーダー・チャムロンを目の前に正座させたうえで諭すように叱ります。

”この様な状況が国民のためになると思うか?双方ともいい加減にせよ”

この時の様子は全てテレビで全国中継されました。

これによりスチンダーは自ら首相を辞任をして内閣は解散となります。そして同年に選挙が行われてタイ王国は民主体制となっていきます。

その時の写真が⇩の画像になります。

右手のベージュのスーツがプミポン国王、中央のスーツの男性が軍部の代表者スチンダー、左の青い服の男性が民主化運動リーダー・チャムロンになります。u-591x439どうですか?このような最悪の状況を1日で解決してしまうカリスマ性のある国王に驚愕ですよね。

私自身デモ隊への発砲で虐殺が始まった時点で内戦になるか、もしくはミャンマーの時の様な恐怖政治による軍事政権国家になるのかと本気で思いました。

実際にリアルタイムで見ていても信じがたい指導力とカリスマ性でした。

世界を見渡したとしても、ここまでの強い尊敬の念の対象となる国王を目にすることは2度とないでしょう。

2派に分かれてしまった王室

では、そもそも現在の王位継承になぜ揉める要素があるのでしょうか?

王位継承権の第1位にいるのは、当然ですが皇太子であるワチラロンコン皇太子です。そしてもし彼が評判が普通以上であれば特別な問題とならずに王位継承は済んでいたと思います。

しかしタイが抱える王位継承の問題の根源はワチラロンコン皇太子の過去の様々な行いにより多くの国民からの尊敬を集めることが出来なくなってしまったことにより始まった問題なのです。

(その彼がおこなった過去の行為に関しては敢えてここに書くことは控えたいと思います。)

そしてワチラロンコン皇太子の国民からの支持の低さはタイ国民の誰もが認めていることだと言われています。

そしてワチラロンコン皇太子はタクシン氏と親密で金銭的にもタクシン氏が援助しているとの噂もあります。

プミポン国王もこの問題を鑑みて1978年に次女のシリントーン王女に王位継承権を与えています。

ただしこれは王位継承権を持つという意味であり王位継承者として指名されたということではありません。

王室外交に際しても優秀に立ち振る舞うシリントーン王女は、国王の信頼も厚く更には国民からの人気も高くシリントーン王女を次期王位継承者に望む声は多く聞かれます。

そのシリントーン王女に対する期待感は一般国民だけではなく枢密院を中枢とする王家や政治に大きな影響力を持っている富裕層の既得権者も同じです。

国民からの待望論もありプミポン国王は次女を推しているようですが、シリキット女王は皇太子を推していると言われており王室のなかでも王位継承者争いが行われていると噂されています。

つまり対立構造で言うと下記の図式をなっているのではないかと推測されているのです。

プミポン国王 :シリントーン王女  :軍(主に陸軍)  :既得権を持つ華僑系財閥

シリキット女王:ワチラロンコン皇太子:警察(1部の空軍):タクシンを中心とする華僑系新興勢力

存命中にプムポン国王が次期王位継承者の指名が出来なかった状況を考えると、現実的にプミポン国王とシリキット女王のどちらが先に死去されるかが後継者の選定に大きな影響が出ることとなってしまいました。2016-03-27 17.57.16 (640x480)

王位継承の問題は、もはやタクシン派の問題とイコール

プミポン国王はタイという国を形創る最重要なタイ国民の心の拠り所となったわけです。つまりタイの未来を決める最大のファクターだったわけです。

もし国民に納得感のない形での王位継承が行われた時には、タイ国民は精神的支柱を失なってしまうことになりかねないでしょうし、タイがこれから平和で健やかな国であることを望むのならば、この次期国王が誰となるのかを国民が納得する形で行い、また大きな支持を得ることでタイ国をまとめれる状況でない限りは王位継承は成功しないと思います。

今回の王位継承は、必ずタクシン派の問題が絡む形で大きなうねりをタイ国内に起こすでしょう。

そしてもし王位継承が最善の形で行われるのであれば、タクシン氏を軸とした国を2分しての争いにも同時に終止符が打たれる時になりえると思います。

タイではタクシンとの対立関係により国が割れてしまいそうなほどの政治対立となっていますが、王位継承という異なる切り口からその問題も含めて解決される可能性が十分にあるということです

タイ国王の後継者・王位継承問題は日本人にも大きな影響があるのまとめ

タイ国内でも王位継承の問題はタイ国民の誰もがタクシンの問題以上の最大の不安要素だと分かっています。それでも解決をすることが出来なくて先延ばしになっている状況でした。

この結果次第でタクシンの行動もまた大きく変わることは明白ですから、王位継承しだいで平和に安定的な情勢が続くこともあれば最悪内乱までいきつく武力衝突さえもあり得えます。

タイの直近100年の歴史の中では今回のプミポン国王の御崩御は軍事クーデターなど比べ物にならないほどの大きな大事件です。

正直に個人的な意見を言えば、今が軍事政権下で本当に良かったと思います。それは下手に民主的な状況下では混乱が起きた時には収集がつかなく恐れがあるからです。

民主主義的観点から見ると軍事政権というのは褒められた話ではないですが、理想論を掲げることで結果として人の命が奪われることが良いとも私には思えません。

実はここ最近の軍事政権にも不安な兆候が出ていました。クーデターを起こした当初の軍事政権は政権に興味を示さず可能な限り早急に民主的な状況へ回復させるために早期な総選挙の実施を約束していました。

それが近年は変化があり良く分からない理由で選挙の実施を先延ばしにしたり、事実上の軍事政権の延命を求めたりしていました。はっきり言えば、独裁政権として少し危ない兆候が見え始めていたとも言えます。

でも今となってはそれは違っていたことが分かります。

つまりそれまでの危ない兆候は軍として政権保持に興味がわいたわけではなく、軍事政権下という強い統制が効いている状況下で国王の御崩御から王位継承の完結までを行うための準備だったのではないかと思えるからです。

現実問題としてみればプミポン国王という精神的支柱を失ったタイの国内を混乱させないためには軍事政権という強権の発動が最も効果的であることは誰もが分っているからです。

大事なことなのでもう一度言います。

実際に私を含む多くのタイに住む外国人は勿論のこと多くのタイの国民も思っています。

今が軍事政権下で本当に良かったと。

日本や欧米の多くの人は軍事政権を民主主義に反するという理由で批判しましたが、理想論を掲げて多くの人が争い血を流すよりも独裁となりえる軍事政権でも人が死なず平和である方が尊いと思います。

アラブの春と呼ばれた民主化により、多くの中東諸国に政治的混乱と内乱を起こしたようにタイでも同じことが起こり得るということです。

民主化されたイラクやアフガニスタンの今の姿を誰が望むというのでしょうか。

さぁ!場は整い賽は投げられました。

先ずは次の王位継承者が、シリントーン王女ワチラロンコン皇太子のどちらになるのかです。

プラユット暫定首相はテレビ演説で皇太子が即位すると明らかにしました。そして暫定憲法に則り内閣の通知により暫定議会議長が議会を招集し皇太子に即位を伝えています。 

しかしワチラロンコン皇太子が”国民と共に哀悼する時間を持ちたい”と即位を遅らせました。これを受けてプレム枢密院議長が摂政を務めることになります。

これはシリントーン王女を推す声も各界に強いだけに少し不可解な行動だとも言るでしょう。

それだけにまだまだ緊迫した余談の許さない状況には変わりありません。

この王位継承の結末によりタイ王国の将来は大きく変わることになります。

タイ王国が平和であり続けること、そして民主的な国になれることを切に願います。

それと我々外国人が安心して暮らしていくにも、治安状況や政治的安定は最低限保たれていなければと困る要素です。勿論海外旅行としてタイに来る人たちも同様です。

私達の様な外国人が安心して旅行したり住み続けられる国であるためにもタイの王位継承も問題は最善の形に収拾して欲しいものです。

 

ABOUT ME
海外旅行FP ひつじ執事
海外旅行FP ひつじ執事
学生時代は1年の半分は海外旅行に行き1年の長期旅行も2回経験した元バックパッカーです。訪問国は60ヶ国を超えマザーテレサの死を待つ人の家などでボランティアもしていました。 社会人としては保険会社に勤務した後に独立をして保険を中心としたリスクマネージメントや資産運用の会社を経営。 現在はタイ在住で店舗の経営とファイナンシャルプランナーとしてネットでの情報発信やライフプラン・資産運用のコンサルを請け負っています。
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