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元ワンズ(WANDS)の上杉昇の現在の姿が凄い!猫騙とはいったい何?


時の扉

1990年代に大人気だったバンド”ワンズ(WANDS)”のボーカルだった上杉昇

日本音楽界の黄金期 ビーイングのワンズ(WANDS)と上杉昇

皆さん、1990年前半に人気を博した”ワンズ(WANDS)”というバンドを知っているでしょうか?当時はかなり流行っていましたので、私のような3・40代の人は名前は知らなくても曲を聞けば、あぁ!となる人が多いのではないでしょうか?

その”ワンズ(WANDS)”のイケメンのボーカルだった上杉昇の現在の変わりっぷりが凄くて話題になっているんです!

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この頃は私は大学生でCD屋でアルバイトをしていました。メンバーが仲良く長く在籍してことと店長が割と責任の重い仕事もアルバイトに任せてしまう人で余りお店に顔を出さなかったために販売の企画や発注などもしていました。

今考えると発注数も1曲100枚200枚と頼んでいて、ヒットすれば売り上げが上がり外せば不良在庫を抱えるか在庫切れで売り上げが伸びないということを担当していたのですが、それを大学生のアルバイトに任せる店長の度胸に脱帽します。

まぁ、そんなことをしていましたのでこの時代の音楽シーンのことは少し詳しかったりします。

この時代は日本の音楽業界の最盛期で、小室グループの安室・グローブ・TRF、ビーイングのビーズ・ZARD・Tボラン・チューブそして大黒摩季、小林武士のミスチル・マイリトルラバーとプロデューサーの力にも注目されていました。

その中でもビーイングの中心的バンドが”ワンズ(WANDS)”で、そのボーカル上杉昇が若い作詞家としても活躍していたんです。


Little Bit・・・

売り上げ重視の会社ビーイング

小室哲也と共に一世を風靡したビーイングですが、音楽業界からの評価は高くありませんでした。それは社長長戸大幸のプロデュースによる徹底的な売り上げ重視の方針からでした。そのために基本的には、それぞれのメンバーを連れてきてバンドを組せてデビューさせたり、楽曲に関しても、作曲は小田哲郎や栗林誠一郎 作詞は坂井泉や上杉昇、編曲は葉山たけしや明石昌夫などグループのメンバーで共同して行っていたためアーティストとしての拘りが感じられないと揶揄されていましたね。

もう1つの特徴がTVの出演が少ないのは勿論ライブ活動さえも異常に少なく売れっ子のアーティスト達は創作活動とレコーディングしかしていないんじゃないかと噂されていました。

現実的にみてビーズ・チューブなどを除いた殆んどの曲には拘りは感じられず小田哲郎の音を複製している様な曲が多かったとは事実ですし、でもそれが実際に売れる曲作りの定石だったんだとは思います。

ミリオンセラーを連発した人気バンド”ワンズ(WANDS)”の曲

先ずは”ワンズ(WANDS)”の全盛時代の曲を聴いて思い出して下さい。と、その前に”ワンズ(WANDS)”を語る上で外せない曲があります。

それは中山美穂の”世界中の誰よりきっと”です。

これはビーイングからの提供曲で、もしかするとワンズの曲ではこの曲が1番有名なのかもしれません。ワンズを売り出したいビーイングと勢いに乗るビーイングの曲が欲しい中山美穂の利害が一致したことで誕生した曲です。

中山美穂のバックとしてつまらなそうに演奏しているワンズのメンバーが印象的でした。ただし知名度を上げるのには効果は抜群で、この曲の前に売り出していた”もっと強く抱きしめたなら”が初めはまったく売れていなかったのに中山美穂のバックで歌うようになると急激に売り上げを伸ばし初のミリオンセラーになったのがその証拠です。この戦略が成功してワンズは人気になったといえますね。

因みにこの曲は、185枚のミリオンセラーとなり中山美穂も自身初のオリコン1位となりました。初の1位は意外な気がしたんですけど、中山美穂は綺麗だし演技もまぁまぁなんですけどね、1番の欠点が歌が下手、、、、、一生懸命下手にならないような歌い方と楽曲を使っているんですが、まぁしょうがないですよね。

そう考えると色んな意味で大成功曲だったんでしょうね。


WANDS

では、ワンズのミリオンセラー曲4曲です。

1992年 もっと強く抱きしめたなら    160万枚

ワンズ最大のヒット曲ですね。私の中では発売当初は売れなかったので、他の曲の方が売れたような印象があるんですが、、、、、、

1993年 時の扉             145万枚

この年1993年が ワンズの全盛期でした。 上杉昇が結構カッコイイとも言われていたのですが、なんせビーイングのメンバーはテレビに出てきません。特に大黒摩季はライブも行わないのでCGなんじゃないのかなんて噂されてもいました。

1993年 愛を語るより口づけをかわそう  110万枚

”愛を語るより口づけをかわそう”は正にビーイングが狙っていた売れ筋のサウンドです。

1994年 世界が終るまでは        120万枚

スラムダンクのエンディングの曲なのでこの曲が1番懐かしいという人もいるのではないでしょうか?スラムダンクの曲はビーイングのアーティストが交代で担当してました。

この頃からですよね、アニメのオープニング・エンディングに1流のアーティストが曲を提供するようになったのって。これってビーイングが仕掛けだしたことなのかもしれないですね。私は三井寿が好きです!

上杉昇の現在とロックバンド”猫騙”

そんな売れっ子の上杉昇ですが、ビーイングの商業的な創作活動に嫌気がさし突如”ワンズ(WANDS)”を辞めてしまします。

それでも商魂逞しいビーイングは声が上杉昇に似ている人を見つけてきて何事もなかったかのように新曲を発売していくのですが、まぁそりゃー売れないですよね、、、、、、てゆーか、そんな欺くようなことをするのに正直驚きましたよ。

多分、上杉昇とかなり揉めたんでしょう、その恨みや意地みたいな話なんだと思いますね。

で、上杉昇の方はというと、独立後にal.ni.coというバンドを組んだのちメンバーとの方向性の違いから解散。

そして上杉昇が全てをプロデュースする究極の理想のバンド”猫騙”を結成します。

”猫騙”ですよ、”猫騙”!

彼がたどり着いたその音楽がこれです!

コンサートを主催する会社が公開するPVです⇒猫騙し ”隼”

、、、、、、、、、そうなんだ、、、、こんなんになっちゃったんだ、、、、、、

確かにこれは売り上げ至上主義のビーイングでは却下されますよね、、、、、いや、普通のレコード会社でも駄目でしょうね。

って言うか、その前にだれですか!

絶対売れないのは、わかってますよね。しかもなぜ?ネイティブアメリカン!

まとめ

当事は拝金主義のビーイングに関しては批判的な声が多かったですね。あれだけ売れていましたからやっかみもあったんだと思います。ビーイング商法なんていわれてましたからね。あれ?そういえばAKBと同じですね(笑)

上杉君もビーイングと喧嘩別れした時は彼はアーティストとしての魂があったんだと株を上げたところもあったんですが、上杉昇の独立してもやりたかったことってネイティブアメリカンになることだったんですね、、、、、、、、、、、

まぁ私は個人的には嫌いじゃない音楽性ですけどね。

人は才能があっても好きなやりたいこととお金を得ることは同じじゃないんだって教えてくれる例の1つですねぇ。

因みに昨年のビーイングはヒットがあり最高益だとか、、、、そのヒットとは、”アナと雪の女王”と”妖怪ウォッチ”、、、、、、、、、、、、

それもどうなんでしょうね、、、、

ABOUT ME
海外旅行FP ひつじ執事
海外旅行FP ひつじ執事
学生時代は1年の半分は海外旅行に行き1年の長期旅行も2回経験した元バックパッカーです。訪問国は60ヶ国を超えマザーテレサの死を待つ人の家などでボランティアもしていました。 社会人としては保険会社に勤務した後に独立をして保険を中心としたリスクマネージメントや資産運用の会社を経営。 現在はタイ在住で店舗の経営とファイナンシャルプランナーとしてネットでの情報発信やライフプラン・資産運用のコンサルを請け負っています。
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